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インタビュー

第3回「作曲家・演奏家 野村誠さん」

野村さんは、1968年名古屋生まれの作曲家・演奏家。京都大学在学中に自身のバンドがCDデビュー。渡英し、各地でワークショップやコンサートを行いました。その後世界各地に招聘されるようになり、NHK「あいのて」の番組監修と出演が反響を呼びました。第1回アサヒビール芸術賞受賞。著書・共著は多数。
インタビュアー:横川雅之 同席者:池田理事長・斉藤副理事長

作曲家の道へは偶然?必然?

横川「どんなきっかけで作曲を始めたのでしょうか?」

野村「8歳の時に病気でずっと家にいて、ピアノのレッスンにも行けず娯楽もないので一人で作曲することが続きました。友達と遊べていたら違う人生だったかも知れません。」

横川「でも、それで終わってしまう人もいますよね?」

野村「病後、ヤマハのグループレッスンに行ったんですが、自分 一人だけの日があって、先生が持っていたレコード(バルトークの曲)を聴いたんです。これがすごく面白くて、こんな音楽があるんだと思って。それで作曲家になろうと思いました。
バルトークの話や興味があるこ とを話してくれて、めちゃくちゃ面白かった!先生は全然何も教えなず、時間を潰してただけですけど…。事故のような出会いでした。尊敬する人がバルトークになり、すごい音楽を聴いた!あれやろう!と思いました。」

横川「音楽大学には行かなかったのはどうしてですか?」

野村「その先生の先生は戸島先生と言う作曲家で、僕は音大の作曲科に入りたかったので訪ねました。僕の作品を見ても曲についてはコメントしてもらえず、謎の言葉を言ったんです。『これは作品というよりは君の演奏だね。』
もう1つは『作曲科の学生で先生に【ここ直せ】って言われたとこを直しているのは一流になれない。』、それで弟子にしてくださいとは言えなかった。それで「あ、僕は一生習えないかも…弟子入りしてはいけないんだ」と思いました。
それは結構な衝撃で、どうしていいか道が全く無くなって、本当に戸惑いました。」

結局、野村さんは大学では数学科に入りました。自分で道を開かねばならず、コンサートに行って「この曲僕が書いたんですが…」と言ったり「ピアノが無いなら弾きに来ていいよ」と言われたり。下宿の六畳一間には楽器はありませんでした。

横川「頭だけで曲を書いたのでしょうか?」

野村「そうですね。ですから頭でっかちになっていました。大学には弾ける人がいないのに書いても意味が無いと思いました。大学3年の時、ジョン・ケージが京都賞を取ったのでジョン・ケージの音楽を演奏するコンサートをやりました。実際にバケツを叩くでも何でもやってみようと。実際に音を出す現場があるというのは、机上で作るのとは全く違うので、面白かった。」

集まってバケツを叩いたりするだけでも、それで音になって出来上がっていく。こうして野村さんは、もう少し現場で体を動かしながら音楽を作っていくことをした方がいいと思うようになりました。やがてイギリスに行くことになります。

イギリスへ、そして池田理事長との出会い

横川「イギリスではどんな体験をしたのですか?」

野村「小学校にアーティストが行っている様子をいっぱい見ましたが、うまくいっている部分やそうでない所を色々見て、日本の音楽教育の人にこれを伝えた方がいいんじゃないかなと思いました。自分が体験したことはレアなことだなと思って。帰国してからその体験を書いたので、本を出したいと思って原稿を音楽之友社に問い合わせたんです。急に本は出せないけど教育音楽という雑誌に連載しないかと言われて、連載を始めました。」

池田「なるほど!僕は既にその本に連載をしていて、隣のページが野村さんの連載だった。」

横川「ここで野村さんと池田さんが繋がったわけですね!実際の出会いは?」

野村「連載とは別に、鍵盤ハーモニカの特集記事を書いて欲しいと言われましたが、『鍵盤ハーモニカについては書けますが子どもとどういう活動ができるのかについては分からない』と言ったら、すごくいい先生がいるので会わせたいと言われて池田さんと会うこになりました。」

池田「初めて会ったときの事を覚えてますよ!変な兄ちゃんが来たなぁと…」

野村「池田さんの連合音楽会のCDをもらって聴きました。これ面白いなぁと思いました。知り合いの音楽家にも聴かせて、『これ面白いね!この音何の音?この人に会いたいね。』などと言い合って。」

数年のブランクの後、2000年頃に名古屋のイベントに池田さんを呼びました。その後海外のイベントにも池田さんを度々招待して2人の交流が続いていきました。

曲を演奏する、聴く…そこには人が介在する

野村「作曲家が譜面を書くところまでは、人は全く介在していません。でも演奏するのは人で、聴くのも人で、どういう風に演奏するかで全然違ってしまいます。物理的な音響現象をどのように捉えて音楽をつくるかということと、人がどんな風に演奏するんだろうと考えて音楽をつくる時に、僕は『人』のことを考えます。

それは、大学の時に周りにプロ的な音楽家が全くいなかったという事がとても大きく影響しています。訓練を受けた音楽家だから面白い音楽が立ち上がってくるということもありますが、そうじゃない状態でいろいろな音楽が立ち上がってくるという体験もしました。時にはすごくつまんなくなる事もある訳です。

人がどう関わっていくと音楽がつまんなくなったり、生き生きとしたりするんだろうっていうことにすごく興味がありますね。人と関わってやっていると、そこで人が代わったり何か変化しているのを見た時に、『教育ってこういう風であったらいいんじゃないかな』を思うことはいろいろあるんです。」

池田「限りなく教育者に近いアーティストだよね。やっていることは教育だもの。」

横川「現代作曲家の人は自分の書きたいことを緻密に書いているけど、そこから先のことも考えたいということですね。そこを考えている所が野村さんたる所ですね。」

野村「全然違うんですよね、つまんなそうに演奏されるのと楽しそうに演奏されるのでは。全然違うじゃないですか。じゃあ何でつまんなくなるんだろうとか、楽しそうになるんだろうかっていうのは、すごく気持ちが入って音を出しているのと全くやる気が無くて音を出しているのとでは、全然違うはずです。」

野村さんのインタビューは、まだまだ続きます。この後も興味深いお話が展開しますが、次号へと続きますので、どうぞお楽しみに!

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